【15】戸田家 執行役員 調理支配人 林誠さん

紹介してくれた親方に対して恩義を果たさねば、
と頑張りました。師弟の関係はそれほど強いもの


善光寺近くの長野県出身。料理の世界で働こうと親戚を頼って鳥羽へ来た林誠さん。山の長野から海の鳥羽へ。波音が聞こえ、いいところ来たなあという印象を持ったようです。最初は小浜にあった旅館に勤め、場所を移って修行を積み、30歳で戸田家へ。200年近い伝統を持つ老舗旅館で、数多いる料理人を統括しています。

鳥羽で働き、海を見たときの感動は忘れませんね。寮で寝ていると、さざ波が聞こえるんですよ。いい音でした。しかし3ヵ月でホームシック、本当に帰りたかったですが、なまじ帰れる距離じゃないことがよかったのでしょう。同期は自分を入れて4人。鳥羽では中学を出て、この世界へ入る人も多かったですし、辞めてもすぐ入ってくるような時代でした。愚痴はこぼさない方でした。落ち込んでいるときでもそれを察して先輩が声を掛けてくれたことが心強かったですし、同期で頑張ろうや、と励まし合っていました。仕事を覚えると達成感が芽生え、ホームシックより仕事の喜びが大きくなって、辞めたいと思うことはなくなっていきました。

調理場のまかない作りがいい勉強になりました。まかないには、いい食材が使えるわけではありませんし、技量をみられる緊張感で、ワカメだけのみそ汁でも真剣につくりました。

戸田家に移ったのは、平成2年。鳥羽駅前ということもあり、昼食も多かったですね。それに平成5年の遷宮に続いて、まつり博(世界祝祭博覧会)も開催され、昼700人、夜も700人と厨房はごったがえしました。大変でしたけど、「大きいところをみてみたい」とのわたしの申し出を聞き入れて、紹介してくれた親方に対して、何としても恩義を果たさねば、と頑張りましたね。師弟の関係はそれほど強いもの。叩かれるようなことがあっても、「仕事を教えてもらって、ありがとうございます」、そう思うように心掛けていました。不思議と腹が立たないんですよ。それに悔しい思いをして、傷みを覚えないと、身に付きません。そのあとのフォローが大切。今はトップの立場tおnあり、どうして怒るのか、その理由を説明するようにしています。
戸田家での食事の形態は部屋食、宴会場、レストラン、バイキングとあり、和食・洋食合わせて32人の料理人がいます。中には、派遣やベテラン職人の助っ人も。人材不足です。新しくライブキッチンの形態で、料理を提供していますが、これまで裏方だった料理人も時代に合わせて、変わってきました。

料理人の技量は、下処理などはほぼ同じレベルでできたとしても、隠し味は経験を積まないと出せませんし、料理人の持つセンスです。深みやコクを出したり、また仕上がりのツヤや見た目も大事で、それらは微妙なさじ加減次第。そこは基本ができているからこそ、アレンジが可能です。そこばかりを先走ると、「なんちゃって料理」です。
長野から鳥羽に出てきて、それまで見てきた素材とは全然違いました。牡蠣もいい、サワラもいい、アカモクなどの海藻類も鳥羽は抜群にいい。地域の食材には旨味があります。鳥羽の物にこだわって出していきたいですね。
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